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負け犬遠吠える。


「すごい役者だよね。」




と言われた。
その人の私に対する端的な感想。


そしてその後に付け足して


「スペシャルな、という意味でない方の、すごい、ね。」


つまりは、一途に真面目にその他には目もくれず盲目的に一所懸命に、等という意味での、すごい。

質ではなく分量の、すごい。


微妙に言葉をかえるなら
「すごく、役者だよね。」
ってとこかしら。


付け足しの説明がなくても分量的すごいのことと思い聞いていたので、説明されて「説明させてごめん。」と思ったりしつつ。






で。


私の思うスペシャルな役者さんは時に「華」という言葉でまとめられますって話を。



今のところ、私にも分かるように説明してくれる人に会ったことありません。


「華」の正体を。


そんな得体の知れない、正体不明な、ふわっふわしたものと、張り合うことなど出来ましょうかいや出来ない。

打消しの強調が出る程に無敵です、「華」。



「華がある」事がよく分かる役者さんはだいたい、下手です。

誤解されることはないかと思いますが、下手だろうが上手かろうが「華」があれば最上級に魅力的だから問題ないんです。

ただ、土台の芝居がド下手であればあるほど、説明のつかないその魅力こそがなるほど「華」なのかとよく分かる、ということ。

下手、これを補って余りある力業が「華」です。


無敵だなぁ。




すごく役者な私としては、舞台の神様の胸ぐらつかんで訴えたい。





それくれよ!!
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現段階での記録。

母が見ているとなると毎日書かなきゃいけない気がしてくる。

これはブログの枠を越えて、両親への生存報告だ。

お母さん。
私は今日も元気です。





つってもそんなに書くことないんだよ。
舞台もとりあえず一段落しまして1ヶ月程の猶予期間ですからね。



なので、このブログのもうひとつの顔。
なしお成のお芝居講座。

講座っても、私から私への講座ですから。
話してんのも聞いてんのも私。
忘れっぽくてノートに書き留めてもそのノートなくすだろお前ってんでここに書きます。




何はなくともまずは前回の中ホール公演で感じた、300人規模になったらいつも通りの芝居でいいと思うなよ!の勉強ですね。

演出中山氏より稽古初日に「いつもより大きく」と注意されていたにも関わらず、何となく実感もわかず放置していました。




そしたらまぁ、本番初日、届かない届かない。




だいたい100人くらいのところで芝居が落ちていくあの恐怖。


なんて小劇場の役者なんだ私は!!



初日打ち上げで、シュサイ竹田と演出中山氏に囲まれる地獄の真面目芝居話空間に追い込まれた私は、いかに「届いていない」かをこんこんと説教されました。




こんな説教ひとりで背負いきれるか!と半泣きになった私は、翌日、自主練をはじめた道井さん横島さんを捕獲。

てめーらちょっと芝居とかしてみろよ!と脅して短いやり取りを何度かやってもらいました。
それを50人くらいの場所と250人くらいの場所で見てみたわけです。




ある1つの変化に気づきました。


席を離れ俯瞰して見ている方が、役者の体の動きのブレが目につくのです。


「役者の体温まで伝わる」程の近距離では、より見たいものにフォーカスをしぼって見ていられるので気にならないのですが、物理的にそれがかなわない距離まで離れると不用意な動きをしている部分まで目に入ってしまいそれが気になるのです。



気になるから芝居が伝わらない。
気になるから台詞が聞き取りにくい。




なるほど、「大きく動く」を言葉通りにとらえてはいけなかったのです。

大きく動いて遠くの人にまで芝居を届かせる、というのはつまり、体に一定の緊張感を持ち不必要な運動を省く、という作業のことでもあったわけです。



試しに、道井さん横島さんにそれを伝え同じシーンを見せてもらったところ、格段に台詞が聞き取れました。




300人でこれですからね。
あっぷあっぷです、電動夏子安置システム。
もっと大きなところで最後列まで伝える芝居って実際どんなことしてるのか。





この発見と反省が、いつか役立つ時が来ますように。
使いどころがなければ意味ないですからね。
ほんとに。
がんばりますよ。

気持ちでやれと言われても、やってますけど?と思ってきた私へ。

昔「声で芝居するな」と言われたことがあります。
それはつまり役作りを声色からするな、というようなことだったのですが、そりゃ無茶だと思います。
役が違えば人が違う。
話し方も声色も当然違ってくるだろうと。

ただし、声や話し方、台詞の発信の音だけに偏ると見るに耐えない芝居になるのも確かです。
見るに耐えない理由をとてもよく言われる言葉で言えば、
「気持ちが入っていない」
ってとこでしょうか。

「気持ち」でいまいちピンと来ない方がいたらこんなんはどうでしょう。

「今まで見てきた芝居は一旦忘れてください」

おそらく、おそらくなのですが、発信の音に重点を置いてしまうタイプの方は、舞台、映画、ドラマ、アニメ、とか元々けっこう好きな上に研究熱心で、そこからコピーしたものを無意識にペーストしてしまうんだと思うんです。
悲しいときはこんな台詞回し、楽しいときはこんな声色、と。

コピペされた芝居はその人自身はモニターとしてしか存在していませんので味気ないしスッカスカなんですよねぇ。

台詞なんか超棒読みなのにただ大きな声を出しているっていう事で泣けちゃう、みたいなスペシャルな役者さんも時々います。
いますし、そういう人はかわいがられます、絶対に。
コピペ出来ちゃう人は、もうある程度うまくなるしか可愛がられる道はないと思うんですよね。



その第一歩が、今まで見てきたことは一旦忘れて、です。



役者になりたいなら、表にあらわれていることだけじゃなくて、表している人そのものを、その人の状態を見た方がいいです。
そういう見方で見直していくといいと思います。


そして最近思ってるんですけどね、すごい役者さんて、すごすぎてすごさが分かんないんですよ。
分かんないまんま簡単なとこだけコピペしてる自分って本当に馬鹿だなぁと反省しきりな今日この頃です。

あるあるをただのあるあるにしない明日へ

タイトル長いシリーズ。
今日は「それ言われたことある」ということを役者仲間と話したついでに、それへの対策案を無理矢理導き出してみようと思います。
なんでそんな事をするかというと、待機中といういかんともしがたい時間を埋めるための苦肉の策だからです。

今回よくあるダメ出しは「やりなよ」。

演出家からの高圧的なダメ出しが連日続き、もう万策尽きてんすけどという気持ちでいる時、周囲の人間がよかれと思って言ってしまう言葉。

もっと いろいろ やってみなよ

ありません?これよくあるでしょ!?
私これ出てきたとき笑っちゃいましたもん、あるある過ぎて。
私自身、言われたことも言ったこともある言葉です。
芝居をしていて、いつでも言われる可能性のある言葉ですが、よく見かけるのは「舞台2回目です」的ビギナーに向けられているところ。
今回はそういう想定で書きます。
そして私の個人的思考をダラダラ書きます。
個人的ということを強く!主張しておきます。


役者として舞台にいるため、最初に乗り越えるべきゾーンが存在します。するらしいです。
この「やりなよ」期はまさにそれを乗り越える時機と思っていいでしょう。
この最初に現れる「壁」は、緊張することとか羞恥心とか理性とか、誰でも標準装備している機能に関係していると思われます。
その装備を備えたまま、芝居っぽいことをなぞろうとするからビギナー感が出てしまうわけです。

持っていることすら気に留めなかったこの装備は、ぶち壊し再構築する必要があります。

ちなみに、私が見聞きしてきた異様に体育会系な方法で、二人一組になっていきなりキスしろとか、感情解放がなんちゃらとかいって涙やら鼻水やらよだれやら垂れ流してとにかく怒鳴りまくるなどの、人間的機能を破壊するための訓練の数々があります。
個人的にはあんまり好きじゃない訓練方法です。
でも、想定している状況はあくまで「本番への稽古期間」「もっといろいろやってみな」への対処方法ですから、これらの訓練を実行している時間はありません。

さらに稽古場で「やりなよ」と言われ出したら、すでにかなり萎縮した状態になっていると思われます。
演出からのダメ出しが「してはいけない」という禁止令にしか聞こえず、体の動きも心の動きも鈍く重々しくぎこちなく。
そうだな、金縛りにあった時とよく似てますね。うん。同じ感覚。
私的体験として覚えているのは、登場して一言発しただけで止められるをさんざん繰り返した為、周囲に「何でもいいからとりあえずやってみなよ」と言われまくり、転がって登場したり飛んで登場したり奇声をあげて登場したりと思い付く限りのことを「やってみた」が、どれもこれも「違う」で一蹴というもの。
あの金縛られ感たるやもう。

前述した「装備の再構築」のためにも無意識に萎縮してしまう心身を自覚し和らげる必要があります。

じゃ、無理矢理対策ね。
言葉を探せ
これが私の対策案です。

今回のような状況に陥った人を見ていると、演出がいろんな言葉でどうしたらいいかを伝えているのにピンときていないようだと思うことがよくあります。
これは役者としての力量がどうこうというより、共通言語の少なさにこそ注目するべきです。
演出とどのくらい共通言語を持っているかはとても重要なことで、分かる言葉が増えれば増えるほど稽古しやすくなると思います。
もし「言われていることが分からない」と思ったら、自分に対するダメ出しだけじゃなく演出があらゆるシチュエーションでどういう言葉を使うのかをよく聞いてください。
また、演出が具体的な作品の話題をあげていたら、必ずそれを見てみましょう。
それも共通言語を増やすひとつの方法だと思います。
そして、やってみなと声をかけてくる周囲の方は大抵、その後のアイデアを持たずに漠然と励ましてくるだけです。
取っ捕まえて「やる」ことの具体化を手伝ってもらいましょう。
自分が何に悩んでいるのか、演出の前では言えないこともどんどんこぼしながら質問し話し合い、次の稽古で何をやるのか具体的に言語化するわけです。
目標を具体的にすると萎縮してしまう気持ちを和らげる助けにもなりますし、話し合いの作業で感じていたことの言語化をする時、無自覚だった気持ちを発見したりしていいと思います。

最後に、やりなよ期を乗り越えるのに最も忘れてならないのは、言葉を聴ける自分作りです。
受けたアドバイスに「でも」で返していませんか?
その言葉を選ぶ自分をまずギッタンギッタンにしましょう。

でも、~てるつもりなんです。

ではなく!

どう~たらいいんでしょうか?

です!!

「でも」が付きそうになったら即刻飲み込んで、相手からのアドバイスが具体的になるように仕向ける!



自分にひびく言葉が出てくるまで諦めないで。



追記、これらの問題はその公演時で解決しきるということはまずありません。
とりあえず私はそんな奇跡見たことないです。
根気よく立ち向かってください。

諦めないで。

芝居をはじめてまもなく、いつも同じダメ出しをもらう人へ。

以前の日記で「肩の力を抜くこと」は、どうやら「留まらないこと」らしい、と書いてそういえばそれしか書いてなかったなぁ、ってことで頼まれてもないのにもう少し詳しく。

「肩に力が入ってる」と言われる人で「エチュードの時は自然なのに」と追加された事がある人はいませんか?

エチュードってのは即興のお芝居。台詞も段取りもない。
ちょっとテンション高くなるけど、実はやっていることは普段と同じ、ただの会話。
シチュエーションが奇想天外になっても、普段と同じ、ただの会話。

エチュードの時はいいと言われるということは、エチュードの時には出来ていて、台本を読むと出来なくなる何かがあると言うことです。


ここで誰かと会話しようとするときに、どういう作業をするのかを整理してみる。
そうすると発信の作業よりも受信の作業の方が比重が大きいなぁと思うわけです。
相手の気持ちと無関係に一方的に話す人でない限り、相手の言葉を聞くだろうし、相手が話しやすいよう考えるだろうし、相手の次の言葉を待つだろうし・・・・・・エトセトラ、エトセトラ。


そしてその受信の作業を役の上でも実行していることこそ「留まらない」の第一歩だと思うわけです。


・・・ちょっと待ってね、思考がどんどんバラバラに。
はいはい、まとまってくださーい。



じゃあ、「肩に力が入ってる」の言葉が違うバージョンをいくつかあげてみましょう。


セリフにフシがある
セリフに抑揚がある
会話してない
やろうとしてる
どんな気持ちでセリフ言ってるの?
気持ちになってないのにセリフを言うなよ


おお、あげればきりがない、言われ続けるこの言葉たち。
思い出せないくらい、 手を変え品を変え言われ続けます。
これらは全て、同じ問題を指摘していると思われます。


これらの指摘を受けると大抵、発信の作業に関心が向きます。
セリフをどう言えばいいのか、と。

発信を工夫し続けて経験を積むことで、いつしかなんとなく克服していく、事も可能でしょうしそういう方もいるでしょう。

でも、回りが経験によって解決しているその時間を、ギュッと凝縮する時短アイディアが、受信作業をこそ見直そう!なわけです。


セリフひとつにしても、いつどこで誰が何をなぜどのように言ったか、と読み取るべき情報はたくさんあります。
情報を受信し、その情報によってどう発信するか「選択し続ける」。

これが私の思う、肩の力を抜くの正体です。



うふふ。
だいぶまとまった!
でも超長い!
誰か読む人いるのかな。
まぁいいや。



ひとところに留まらず選択し続ける為には、発信することにとらわれない他にもいくつか注意するべき事があります。


「役にとらわれない」
私の役はこう!と決めてかかりすぎると、選択の幅が極端に狭くなります。
むしろ逆に行く!くらいのアクティブさがあってもいいと思います。

「演出にとらわれない」
演出家の言葉、また演出そのものにこだわり過ぎると、以外と演出家が満足してなかったりする。
指針にしましょう、くらいがちょうど良さそうです。

「元気でいる」
これは、すごく大事。まじで。
健康でないとまともな稽古はできないです。
心の健康もまた大事。
別れ話するかもしれない日の、次の日の稽古は早めにNG出しときましょう。

また、選択に重要なのはそれが「役の人」の選択かどうかの見極めです。
受信した情報を感じているのは、自分ではなくあくまで「役のひと」。
前述した「役にとらわれない」と矛盾しているように感じるかも知れませんが、全く別問題です。







長くなったなぁ。
でもまぁ、現段階の記録として。

分かんないことだらけ

森を知るために私は、木を見て葉っぱを見て根を掘り出して見て顕微鏡で土を見る。



だけど私が憧れる人達は、その森に突然「お城建てる」とか言い出したりする。




森をよく知る私は森の良さを事細かに説明するしそれは十分に楽しめるんだけど、素敵なお城がある森の方が圧倒的に魅力なのだ。






よくわかんないね。
でもこれは私がもっと、今の私が説明出来ないくらいの役者になるために、している、とある空想。






そう。
酔っぱらってます。




明日も更地だ。
皆様お待ちしております。

今も肩こりはなおらない

「セリフを言う時肩に力が入っている」と指摘された事がある。
今でも改善されたとは思わないけど、指摘された時よりはだいぶマシになってきたと思う。

「肩に力が入ってる」が体のこわばりだけの問題でない事に気づいて、
あぁ肩に力が入ってるなぁと自覚できるようになるだけでも、けっこうな時間がかかりました。


まず私は役の感情を深めようとしました。
もっともっと心底思い込もう、集中しよう。
でもやればやるほど力んでるといわれる。
次は言葉の通り「肩の力」をぬこうと奮闘しました。
体を動きを柔らかく柔らかく。
これもあっという間に行き止まり。
どうやらこういうことじゃないらしい。
今度はセリフを出来るだけ普段の会話のレベルで発しました。
音量を下げ、抑揚をなくし・・・・・
あはは、全然うまくいかない。

ここでひとつ気づいた事が。
人の稽古をドア越しに音だけ聞いていると、それがセリフなのかただの雑談なのかすぐ分かります。
上手な人たちが現実の会話に近づけるとだいぶ判別しにくくはなりますが、
それでも「セリフのやりとり」なのか否かは分かります。

つまり「セリフ」はセリフ然としていていいんだという事。
「セリフ」が現実に近すぎると見にくいし分かりづらい。


現実にすると見えないし、つくろうとしても見えない。



私はずっとずっと考えて、今も考え中なんだけど。


留まらない、という事。
選択の自由さと俊敏さ、という事。


どうやらそれが「肩の力を抜く」って事のようです。
説明はまた今度。
思い出した時にでも。

散々いって結局テキトー

「どうやって画を浮かべながら台本を読むんですか?」

はじめてされた質問だったので答えにつまった。
というか答えようがなかった。
私は「画を浮かべながら台本を読む」という作業をしたことがなかったから。

「画を浮かべる」?
その画は客席の目線から?それとも自分の立ち位置から?
ちょっと待てよ。
私台本読みながら何考えてるっけな?
うーん。うーん。

質問されておきながらすっかり自分の思考の海に潜り込んでしまった。

やべー。やべー。
聞かれてんだから答えなきゃ。
なのでまず私は正直に画を浮かべるがちょっとアレだわとごにょごにょ濁し、今日家に帰って台本を読むときには、自分の事に囚われず相手が何をしていたか思い出しながら読んでみては?と提案した。


台本を読むときかぁ。
うーん。
作品そのものを理解しようとする時の作業とは別物と考えて。
うーん。

初見な上に本読みなどで相手が既にいる現場、そんな時はどうだろう。
これは現場としてよくある、なんだったらいきなり立って稽古しましょうということもある。
自分が何者なのか全く分からずいきなり声を出して発言する。
こんな時はただの反射ですね。
同時に2~3行前を読んで、それっぽい台詞回しを反射で選び続ける。

セリフをまだ覚えきっていなくて、一人で台本を読む場合。
今回の質問は多分この場合のこと。

ただ暗記していく作業だけすると私は不十分なようで、稽古場でいざセリフを言おうとすると相手のセリフをくってしまったり、言い出したセリフがひとつ後のセリフだったりとかなりおかしなことになる。
なので暗記とともに「状態の想像」もしておく。
「状態」ってのは、人間関係とか声とか姿勢とか緊張感とか思考とか、いわゆる感情と言われるものも含めその近い所にあるもの全て。
自分のあるひとつのセリフから次のセリフまでに何が起こってその「状態」がどう変化していくのか。
それを自分の出番の最初から最後までをずーっとつなげていく。

これがね、考えれば考えるほど、読めば読むほど、何通りもパターンがあるわけ。
いやになるほど、どうとでもなる。
ま、自分の役者としての器がちっちゃこいですからねー。
頭で考えるほどいろんな事は体現できないけど。
台本読んでる段階では、まーーそりゃ無限大に際限なく自分の状態は変わっていく。

ここらへんで「ひとりで読んでてもしょうがねーなー。」ってことになるよね。
「とりあえず今日のところは、このへんでカンベンしてやるよ。」ってことになる。

だいたい、演出がいて共演者がいてお客様がいて。
そのすべてに左右されてつくるのだもの。
無限に広がる「状態の可能性」を家で、ひとりで、取捨選択はできないのだもの。


長いな。
まとめる。まとめるよ。ためしにまとめてみようか。

言葉を暗記しながら芝居のパターンをざっくりと想像しておく。
注意点:芝居のパターンを決めつけない、でも眠れなくなるから考えすぎない。


なんか違うかな。なんかずいぶん端折ったかな。



・・・・・つーかだいたいねーー!
私はあんまり稽古場以外で台本読まないのよ。
そんでなくても芝居が型にはまりがちなのに、家で考えすぎるとその型壊すのがまたものすごい大変で。


落ち着こう。
もう一回まとめるか。
えーと、じゃあ。

自分なりのやり方を見つけよう。

これだ。これでいこう。
今日のところはこれでカンベンしてやるよ。
プロフィール

成

  • Author:成
  • 1981年生まれ
    福島県出身
    射手座
    B型
    末っ子
    丸い女
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